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片雲の風にさそわれて元禄2年3月27日江戸深川の草庵を立った芭蕉は日々旅を栖として敦賀に杖を止めたのはその年の8月14日夕刻である。
芭蕉はまず待宵のここ氣比神宮に詣で月下の社頭で二代遊行上人砂持ちの古例を知り深く感じて「なみだしくや遊行のもてる砂の露」と詠み更に推敲を重ねて
月清し遊行のもてる砂の上 芭蕉
となし「おくのほそ道」にこの句をとどめた
この由緒深い神域にこの度日本芸術院会員富永直樹氏の創作になる芭蕉像の建立を見たことはこの地に相応しい盛事であり俳諧の誠を伝えて意義が深い。
仰ぎ見る芭蕉像には長途の漂泊の果てに得た安らぎの姿をとらえて余すところがない。なお台座正面の芭蕉の句は敦賀市新道野の西村家秘蔵の素龍本「おくのほそ道」の原本より書体を写した(碑文) |
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<芭蕉と敦賀の月>
月を殊のほか愛した芭蕉は、元禄2年奥の細道の旅で敦賀を中秋観月の名所と定めてこの地に来り、月の絶唱とも言うべき名吟に遊んだ。
碑の句は、その代表的な敦賀での作品であり、それぞれ敦賀の歴史風土景観のゆたかさを詠んでいる。
これらの他に敦賀では次のような月の句をもみる。
中山や越路も月ハまだ命
月のみか雨に相撲もなかりけり
衣着て小貝拾ハんいろの月 |
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