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松尾芭蕉が、弟子の河合曾良を伴って江戸の芭蕉庵を発ったのは元禄2年(1689)5月16日のことです。江戸から東北、北陸と旅し大垣をむすびの地としています。その間の紀行文が奥の細道です。平泉での『夏草や 兵どもが 夢のあと』、立石寺での『閑さや 岩にしみ入 蝉の声』
などの句は余りにも有名です。
ここでは、松尾芭蕉の「奥の細道」にかかわる採茶庵跡・立石寺・塩竈神社・むすびの地などの光景を集めました。あわせて、蔦の細道も細道という関連で挿入してあります。
<おくのほそ道> 序文
月日は百代(はくたい)の過客(かかく)にして、行(ゆ)きかふ年もまた旅人なり。
舟の上に生涯をうかべ、馬の口とらえて老(おい)をむかふるものは、日々旅にして旅を栖(すみか)とす。
古人(こじん)も多く旅に死せるあり。
よもいづれの年よりか、片雲(へんうん)の風にさそはれて、漂泊の思ひやまず、海浜にさすらへ、去年(こぞ)の秋江上(こうしょう)の破屋(はおく)にくもの古巣(ふるす)をはらひて、やや年も暮、春立てる霞(かすみ)の空に白河の関こえんと、そぞろ神(がみ)の物につきて心をくるはせ、道祖神のまねきにあひて、取るもの手につかず。
ももひきの破れをつづり、笠の緒付けかえて、三里に灸(きゅう)すゆるより、松島の月まず心にかかりて、住める方(かた)は人に譲(ゆず)り、杉風(さんぷう)が別墅(べっしょ)に移るに、
草の戸も 住替(すみかわる)る代(よ)ぞ ひなの家
面八句(おもてはちく)を庵の柱にかけ置く。 |
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