|
|
|
|
|
|
松尾芭蕉が深川に移り住んだのは、延宝8年(1680)芭蕉37歳の時である。芭蕉は、延宝8年(1680)から元禄7年(1694)まで門人の杉山杉風(さんぷう)の生け簀の番屋を改築して、芭蕉庵として住んでいた。
小名木川に架かる万年橋の北に芭蕉稲荷神社(芭蕉庵跡)が祀られている。芭蕉庵は、芭蕉没後に消え去りその場所も長く行方不明になっていた。
大正6年(1917)の大津波の時、元々あった稲荷神社付近から芭蕉遺愛のものとみられる石蛙が見つかった。このことからここを芭蕉庵跡と推定し、祠に石蛙を祭り芭蕉稲荷とした。
かの有名な「古池の句」はこの芭蕉庵で貞享3年(1685)の春、詠まれた。
<深川芭蕉庵旧地の由来>
俳聖芭蕉は、杉山杉風に草庵の提供を受け、深川芭蕉庵と称して延宝8年から元禄7年大阪で病没するまでここを本拠とし「古池や蛙飛びこむ水の音」の名吟の数々を残し、またここより全国の旅に出て有名な「奥の細道」等の紀行文を著した。
ところが芭蕉没後、この深川芭蕉庵は武家屋敷となり、幕末、明治にかけて滅失してしまった。
たまたま大正6年(1917)津波来襲のあと芭蕉が愛好したといわれる石造の蛙が発見され、故飯田源次郎氏等地元の人々の尽力によりここに芭蕉稲荷を祀り、同十年東京府は常磐一丁目を旧跡に指定した。
昭和20年(1945)戦災のため当所が荒廃し、地元の芭蕉遺跡保存会が昭和30年(1955)復旧した。
しかし、当所が狭隘であるので常磐北方の地に旧跡を移転し江東区において芭蕉記念館を建設した。 昭和56年3月吉日 芭蕉遺跡保存会 |
|