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正治元年(1199)に父頼朝の後を継いで18歳で鎌倉幕府の2代将軍となった頼家は、父の没後に専横になった北条氏を押さえて幕府の基礎作りに懸命であったが、大きくゆれ動く時流と、みにくいかけひきに終始する政争に破れ、在位わずか6年で、この修善寺に流され、元久元年(1204)北条時政の手で入浴中に暗殺された。(享年23才)
「修禅寺物語」は、こうした政治的背景の上に配所の若き将軍頼家と、面作り師夜叉王を中心に、それにまつわるロマンスを綴ったものである。墓は小さな五輪石塔が、二基残されているのがそれである。 |
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