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金子みすゞは明治36年(1903年)に仙崎(現在は長門市)で生まれる。本名金子テル。26歳の時、娘を自分の母に託すことを懇願する遺書を遺し服毒自殺をする。死去するまでに500余編もの詩を綴ったとされる。
仙崎駅前からまっすぐ伸びる「みすゞ通り」の北詰にある遍照寺には、金子家の墓があり、みすゞもここに眠っている。
代表作には「私と小鳥と鈴と」や「大漁」などがある。
<私と小鳥と鈴と>
私が両手をひろげても、
お空はちっとも飛べないが、
飛べる小鳥は私のように、
地面を速く走れない。
私が体をゆすっても、
きれいな音はでないけど、
あの鳴る鈴は私のように、
たくさんな唄は知らないよ。
鈴と、小鳥と、それから私、
みんなちがって、みんないい。 |
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東日本大震災後のテレビ放送で繰り返し流されたCM(ACジャパン)が金子みすゞの詩である。日本人ならもはや知らない人はいないだろう。
<こだまでせうか>
「遊ぼう」つていふと
「遊ぼう」つていふ。
「馬鹿」つていふと
「馬鹿」つていふ。
「もう遊ばない」つていふと
「遊ばない」つていふ。
さうして、あとで
さみしくなつて、
「ごめんね」つていふと
「ごめんね」つていふ。
こだまでせうか、
いいえ、誰でも。 |
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