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鈴木梅太郎は、明治7年(1874)牧之原市の堀野新田で生まれた。ビタミンBをはじめ、数多くの発明、発見をして、日本の農芸化学界の大御所として活躍した。昭和18年(1943)文化勲章を受け、同年9月20日、70歳で没した。
この墓碑は、東京・北多摩墓地に眠っていた博士の墓を分骨して建立したものである。(牧之原市指定・史跡) |
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明治43年(1910)、鈴木梅太郎、米麹の中に脚気治療に有効な成分「アベリ酸」があることを発見し、これを抽出して「オリザニン」と名付け、明治44年(1911)「米糠中の一成分アベリ酸の製法」(特許第20785号)として特許を取得した。
オリザニンは、現在では「ビタミン(B1)」として知られている。「ビタミン」は、鈴木とほぼ同時期に同様の発見をしたポーランド人科学者C・フンクが命名したもので、鈴木の国際学会への発表がフンクより遅れたために、現在では「ビタミン」という名称のほうが普及した。さらに、オリザニンには、発表当時日本の医学界から拒絶されたという事情もあった。
脚気はビタミンの欠乏から起こる病気だが、当時の日本医学界では伝染病によるものとの説が有力であり、医学ではなく農学博士の鈴木が主張する学説は医学界では容易に受け入れられなかった。このように発表当初から鈴木の発見は不運な境遇にあったが、研究が進むにつれビタミンの栄養学上の有効性が認められ、鈴木の功績も評価されるようになった。(国立公文書館HPより引用)
上右画像は、鈴木梅太郎の墓碑がある了見寺。 |
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