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幸吉(こうきち)は、江戸時代に世界で初めて空を飛んだと伝えられている。幸吉は宝暦7年(1757)備前国・八浜(岡山県玉野市八浜町)の旅館で生まれた。大きくなって表具師をしていたが、鳥のように空を飛ぶことを夢見ていろいろと研究し、天明5年(1785)28歳の時、竹や木の骨に紙を張った翼を身に付けて空を飛んで騒ぎを起こした。このため、幸吉は捕らえられて岡山に追放された。
その後、幸吉は駿府の江川町(静岡市江川町)に移り住み、備前の物産を売る店を開いた。その傍ら時計や入れ歯の修理をしていたが、ここでも空を飛ぶ夢が捨てきれず、再び翼を作り、今度は安倍川(静岡市)の河原で空を飛んだということです。
このため、幕府にとがめられて追放され、磐田市見付に移り住み、飯屋を開いていたが、弘化4年(1847)8月、91歳で亡くなった。
幸吉の墓は、磐田市の大見寺墓地にある。戒名は「演誉清岳信士」と大見寺の過去帳にに記されている、
幸吉と同じように空を飛んだ人に、ドイツのリリエンタールという人がいるが、それは幸吉よりも百年以上も後のことだった。幸吉のことは戦前の国語の教科書の中の飛行機の発明という中に『今から百数十年前(昭和13年当時)岡山の幸吉という表具師が鳩の体を研究して大きな綱さをこしらえ、それをあやつりながら屋根から飛んで人々を驚かしたという話があります。』と書かれている。 |
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幸吉が作った翼の想像模型(1/2)。大見寺本堂の天井に吊されている、 |
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