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山内豊信は容堂と号した。文政10年(1827)に分家の山内豊著(とよあきら)の長子として生まれ、嘉永元年(1848)に宗家を継いで第15代土佐国高知藩主となり、人材を登用して藩政の刷新に努めた。一方、国策についてもいろいろと論議し、策を建てて多難な幕末期の幕政に大きな影響を与えた。
進歩的で強力な言動は幕閣に恐れを抱かれ、一時、大井村の下屋敷に蟄居させられたが、文久2年(1862)に再び政治の場に復し、大政奉還をはじめ幕府と朝廷の間の斡旋に力を尽くした。
明治元年(1868)に維新後の新政府の内国事務総長となったが、翌年引退し、明治5年に45歳の若さで亡くなった。遺言によって大井村の下総山(土佐山)と呼ばれていた現地に葬られた。 |
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