徳川慶喜の墓 |
谷中霊園 東京都台東区
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徳川慶喜(1837〜1913)は、水戸藩主徳川斉昭の第7子で、初め一橋徳川家を継ぎ、後見職として将軍家茂(いえもち)を補佐した。慶応2年(1866)第15代将軍職を継いだが、翌年、大政を奉還、慶応4年(1868)正月に鳥羽伏見の戦を起こして敗れ、江戸城を明け渡した。駿府に隠棲し、大正2年(1913)11月22日に没した。葬儀は仏式ではなく神式で行われた。5,600u余の墓域の中央からやや西南寄りに葺石円墳状の墳墓がある。(谷中霊園・寛永寺墓地内の説明文)
下左画像は、徳川美賀子(慶喜の夫人)の墓である。 |
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