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徳川幕府最後の将軍慶喜は、水戸藩主斉昭の7男として、天保8年(1837)小石川の上屋敷(現小石川後楽園一帯)で生まれた。その後、御三卿の一家である一橋家を相続した。ついで幕末の動乱のさなか、長州攻めの陣中で没した14代将軍家茂(いえもち)のあとを継ぎ、慶応2年(1866)15代将軍となった。
翌慶応3年、大政を奉還し、鳥羽伏見の戦いの後、天皇に対し恭順の意を表して水戸で謹慎、その後、駿府(静岡)に隠棲した。明治30年(1897)東京の巣鴨に、明治34年、誕生の地である旧水戸屋敷に近いこの地に移った。現在も残るイチョウの大木の左手に、車寄せ玄関があった。(現在の国際仏教学大学院大学内)
慶喜は、その後、公爵、勲一等旭日大授賞を授けられた。大正2年(1913)11月22日、急性肺炎のためこの地で没した。76歳、谷中霊園の寛永寺墓地に葬られた。 |
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今井坂を上ったところ、もと大久保長門守の屋敷跡に、明治34年(1901)徳川慶喜が移ってきた。そして、大正2年(1913)、ここで波乱の一生を終わった。屋敷跡には往時の大銀杏の木が残されている。(2段目以降の画像はI・Hさんの提供) |
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