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江戸開城の功労者で宮内省御用掛を務めた鉄舟は、天保7年(1836)6月10日幕臣小野朝右衛門の五男として江戸本所に生まれた。通称は鉄太郎、諱(いみな)は高歩(たかゆき)、字は曠野(こうや)、猛虎、鉄舟、一楽斎は号である。父の飛騨郡代在任中、高山で井上清虎に一刀流を学んだ。
嘉永5年(1852)江戸に戻り槍術の師山岡静山の婿養子となって山岡家を嗣いだ。幕末の動乱の中で東征軍の東下に対し、駿府で西郷隆盛と会見し、勝海舟と協力して江戸無血開城を実現させた。明治維新後は天皇の側近として宮内大書記官や宮内小輔などを歴任した。
公務の傍ら剣術道場を開き、明治13年(1880)には無刀流を創始した。書家としても優れ、また明治16年(1683)臨済宗普門山全生庵の開基となった。開山は松尾越叟である。明治21年(1888)7月19日53歳で死去した。
山岡家墓所には、基壇上にある有蓋角塔の正面に「全生庵殿鉄舟高歩大居士」とある。墓所の周囲には、鉄門といわれる石坂周造、千葉立造、松岡萬、村上政忠の墓がある。 |
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全生庵(ぜんしょうあん)は、臨済宗国泰寺派の寺院。落語家の初代三遊亭円朝や「春よ来い」、「叱られて」などの作曲で知られる弘田龍太郎などの墓がある。 |
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