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江戸時代のいわゆる田沼時代といわれている時期の老中田沼意次の墓である。田沼意次は、幕政改革を行い財政は改善に向かったが、世の中が商業中心・金銭中心になっていき、贈収賄が横行した。この時代を田沼時代と呼んでいる。10代将軍徳川家治の死後、失脚する。天明8年(1788)70歳で死去した。
意次の父は足軽だったが、8代将軍吉宗に登用され旗本となった。意次は9代将軍家重の西丸小姓として抜擢され、更に大名に取り立てられた。10代将軍家治にも登用され遠州相良藩主、老中に上りつめた。
勝林寺は、元和2年(1616年)弘済禅師の開山、臨済宗妙心寺派の寺。 |
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