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谷文晁は、江戸後期文人画家。田安家の家臣で漢詩人谷 麓谷(ろうこく)の子である。
名は正安、字は文晁のほか子方、文五郎、号は画学斎、写山楼、文阿弥などといった。元・明・清画や狩野派、土佐派、文人画、西洋画など各派の手法を研究し画風を工夫し、関西文人画に対して江戸文人画壇の重鎮となった。門人として渡辺崋山、立原杏所、高久靄香iたかくあいがい)ら多い。文晁の妻や娘も画家である。
文晁は松平定信に従って諸国を巡歴し、「集古十種」の挿絵を描いた。このほか「名山図絵」「本朝画纂」「公余探勝図」(重要文化財)「五柳先生図」などがあり、人物、山水、花鳥、虫魚を得意とし、特に水墨山水に妙を得ていた。天保12年(1841)12月14日没。年78歳。 |
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