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島田虎之助は直心影流島田派の剣客。文化11年(1814)に豊前国中津(現大分県中津市)藩士、島田市郎右衛門親房の子として生まれた。10歳頃から、中津藩剣術師範堀十郎左衛門の道場で学んだ。上達が早く数年後には、藩内で相手になる者はいなかったという。16歳の春および翌年には九州一円を武者修行し名声をあげた。
天保9年(1838)に江戸へ出て、男谷精一郎の内弟子となった。1年余で、師範免許を受け、男谷道場の師範代を勤める。同14年、東北方面に武者修行の後、浅草新堀で道場を開く。その道場には、勝麟太郎(のちの海舟)も通った。
虎之助は男谷に次ぐ幕末の剣豪といわれたが、嘉永5年(1852)9月16日に39歳で病没。墓碑には、「余、哀歎ほとんど一臂を失うごとし」と男谷精一郎の銘文が刻まれている。 |
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