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酒井抱一(1761〜1828)は、名門酒井雅楽頭家の姫路藩主酒井忠仰(ただもち)の次男として生まれた。明和4年(1767)忠因(ただなお)と名乗る。大名家の習いとして、武術、絵画、俳諧、狂歌などにも親しんだ。
寛政9年(1797)、37歳で西本願寺文如上に随い出家し、「等覚院文詮暉真」と称した。浅草千束に移住し、抱一と号した。
抱一は寛政年間後半ころから尾形光琳の画風に傾倒し、文化12年(1815)には、文化6年に移り住んだ下根岸の新居(後の雨華庵)で光琳百回忌を営んだ。
抱一は、琳派の画風に諸派の技法を取り入れた独特な作風を確立し、粋で瀟洒(しょうしゃ)な江戸琳派を完成させる。代表作として、「光琳百図」「四季花鳥図屏風」「夏秋草図屏風」などがある。文政11年、雨華庵で亡くなり、築地本願寺に葬られた。 |
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