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斎藤鶴磯(さいとうかっき)、江戸時代後期の儒学者。地誌研究家。宝暦2年(1752)水戸藩士の子として江戸に生まれた。通称宇八郎、諱(いみな)は敬夫、字は之休、鶴磯は号である。
寛政8、9年(1796〜7)から文化13年(1816)頃めでの約20年間、江戸から離れて所沢に住み、鈴木牧之(ぼくし)(秋月庵)の『北越雪譜』(ほくえつせっぷ)や赤松宗旦(義和)の『利根川図誌』と並ぶ江戸時代の地誌『武蔵野話初編』を文化12年(1815)に完成させた。
翌年筆禍事件により所沢を去って江戸に移った。続編は門人の校訂によって文政10年に刊行された。他の著作に『女孝経補注』(おんなこうきょうほちゅう)や『干支考』(かんしこう)『琢玉斎漫筆』(たくぎょくさいまんぴつ)などがある。文政11年(1828)2月7日77歳で死去し、深川猿江町にあった慈眼寺に葬られたが、寺院の移転により改葬された。 |
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