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雷電為右衛門は、明和4年(1767)信州(長野県)小諸在大石村に生まれた。生まれながらにして、壮健、強力であったが、顔容はおだやか、性質も義理がたかったといわれる。
天明4年(1784)年寄浦風林右衛門に弟子入りし、寛政2年(1790)から引退までの22年間のうち大関(当時の最高位)の地位を保つこと、33場所、250勝10敗の大業績をのこした。
雲州(島根県)松江の松平侯の抱え力士であったが引退後も相撲頭に任じられている。文化11年(1814)当寺に鐘を寄附したが異形であったのと、寺院、鐘楼新造の禁令にふれて取りこわされた。文政8年(1825)江戸で没した。(東京都港区教育委員会の説明板より引用) |
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