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享禄元年〜慶長7年(1528〜1602)徳川家康の生母。三河(愛知県)刈谷の城主・水野忠政の娘。天文10年(1541)岡崎城主・松平広忠と結婚、翌年に家康を生む。後に離婚して阿古屋城主・久松俊勝に再婚するも人質として織田方や今川方を転々とするわが子家康を慰め、音信を断たなかったという。
於大の法名、伝通院殿蓉誉光岳智香大禅定尼にちなみ、この寺の通り名を「伝通院」とした。 |
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愛知県岡崎市の大泉寺。墓地の一番高い所に於代の遺髪を埋めたという墓碑が建てられている。家康の父、広忠のころの松平家は、今川方と結ばなければ生きていけず、織田方についた刈谷水野家出身の於大を離縁しなければならなかった。戦国の世の非情さを思い起こさせる。 |
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