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明治10年(1877)〜昭和42年(1967)。本名は通治。空穂は号。明治、大正、昭和の歌人、国文学者。
その文筆活動は、短歌、小説、随筆、評訳と多彩であった。多数の歌集のほか、万葉集、古今集、新古今集の評訳、源氏物語の現代語訳などを著した。一方早稲田大学教授として多くの人材を育てた。昭和16年(1941)、日本芸術院会員。昭和33年(1958)、文化功労者。
明治45年(1912)竹早町(現・小石川5丁目)に居住して以来、文京区とのゆかりが深く、この地に46年間住み、昭和42年(1967)4月12日ここで没した。享年89。
<旧雑司ヶ谷町>(昭和41年までの町名)
延亨3年(1746)、町名がつけられた。町名の由来にはいろいろある。
昔、小日向金剛寺(法明寺とも)の支配地で物や税を納める雑司料であった。また建武のころ(1334〜36)、南朝の雑士(雑事をつかさどる)柳下若狭
などがここに住んだので、雑司ヶ谷と唱えたという。(『新篇武蔵風土記』) |
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