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江戸後期の刀鍛冶の名匠源清麿(みなもとのきよまろ)は、本名を山浦環といい文化9年(1812)信州小諸に生れた。
はじめ上田の刀匠河村寿隆について鍛冶を学び、天保6年(1835)江戸に出て幕臣窪田清音のもとで兵学を学ぶ傍ら刀工として精進した。
その後、四谷北伊賀町(現在の三栄町の一部)に居を構えて刀剣の製作に励み、名も源清麿と改めた。新々刀(江戸時代後期の刀)の刀工の第一人者として、天保・弘化年間(1830〜1846)に活躍した。その刀の切れ味は正宗のようだといわれ、「四谷正宗」と呼ばれた。寛政元年(1854)11月14日、42歳で没した。 新宿区指定史跡
宗福寺入口の寺住所に四谷区と表記されており珍しいなと思った。 |
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