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江戸前期の豪商として知られる紀伊国屋文左衛門の墓は、江東区深川にある成等院という小さなお寺の右手奥にある。墓の正面に紀伊国屋文左衛門の顕彰碑があり、その左手に小さく朽ちかけているような墓がそれです。墓地に入る手前の石柱には和歌山県関係者の名前が刻まれている。これは、昭和33年(1958)木場で材木商を営む和歌山県出身の方々が追善供養されたものだそうです。
紀伊国屋文左衛門は、紀州湯浅(現・和歌山県有田郡湯浅町)の出身で、紀州みかんを江戸に運び、帰りに江戸から塩鮭を上方に運んで富を築いたという話がよく知られている。また、材木商を営み、寛永寺の根本中堂の用材調達を請負、巨利を得た。こうした財力を背景に、吉原での豪遊の逸話も残っている。
晩年は材木商は廃業し、深川八幡で過ごしている。66歳で死去。紀伊国屋は2代目が継いだが衰退した。1代で財をなし1代で散ったという豪快な人生だった。 |
初めまして。落語に関するブログの管理人をしております。
昨日、深川の落語会の前に紀伊国屋文左衛門の墓と碑のある成等院に行ったのですが、上手く写真が取れなかったこともあり、お写真をお借りし、こちらのページにリンクをさせていただきました。事後となり申し訳ありませんが、ご了解いただければうれしい限りです。他のページも拝見して、大いに勉強させていただいております。今後とも、よろしくお願いいたします。小言幸兵衛
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