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長八は鏝絵(こてえ)を描き、「異本日本絵類考」に、「最古の技に長ぜり」「柱等に種々に絵画を泥装するをもて、専門の業となし、又花瓶額面等に、花卉鳥獣の形を塗る、世人以て絶妙の技となす」と評された人物。鏝絵とは漆喰(しっくい)を塗った上に、鏝で絵を描き出したもので、石灰絵ともいう。
文化12年(1815)8月5日、伊豆国松崎で誕生した。俗に伊豆長八と呼ばれ、世に知られた。天保元年(1830)に江戸へ出て、左官棟梁源太郎の弟子となった。修行のかたわら、狩野派の画報を学び、乾道と号した。また晩年には仏教学も学んで天佑と号したという。明治3年(1870)に名字の名乗りが許されると、最初上田と名乗り、後に入江と改姓した。
明治22年(1889)10月8日に78歳で、深川に没すると、遺骨は正定寺に埋葬され、同時に松崎の浄感寺にも分骨された。正定寺の墓石には、「入江家先祖の墓」と刻まれ、台石には「深川播磨屋」と養家の家号が刻まれている。 |
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