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墓石は角石で、正面に「東河伊能先生之墓」と隷書で刻む。伊能忠敬は延享2年(1745)神保貞恒の子として上総国に生まれる。名を三次郎という。のち下総国佐原の酒造家・名主の伊能家を継ぐ。名を忠敬と改め、伊能家の家業興隆に精出すかたわら、数学・測量・天文などを研究。漢詩・狂句も良くし、子斉と字し、東河と号した。
50歳の時、家督を譲り江戸に出て、高橋至時(よしとき)の門に入り、西洋暦法・測図法を学ぶ。寛政12年(1800)幕府に願い出て、蝦夷地(現・北海道)東南海岸の測量に着手。以来18年間、全国各地を測量して歩いた。しかし地図未完のうちに文政元年(1818)4月18日没す。享年74歳。
地図作成は、幕府天文方が引き継ぎ、没後3年の文政4年に完成。その地図は『大日本沿海輿地全図』という。また『日本輿地全図』『実測輿地全図』ともいい、俗に『伊能図』と呼ぶ。わが国最初の実測精密地図である。 |
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測量道具:左は車軸の回転を利用して距離を測る量程車。 |
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