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江戸後期の著名な浮世絵師で葛飾流の始祖である。本姓は中島、名ははじめ時太郎のち鉄蔵といった。号は春朗、宗理、可侯、画狂人、卍翁など三十余ある。
宝暦10年(1760)9月江戸本所割下水で生まれ、父は徳川家用達の鏡師中島伊勢といった。14、5才の時彫刻師に学び、ひそかに狩野派の画法を学び師の知るところとなり破門。以来土佐派、琳派、洋風画、中国画などを学び独自の画境を開いた。肉筆画、版画、絵本、さし絵などに手腕をふるい、特に風景画は広重とともに称賛され、「富嶽三十六景」をはじめ傑作が多い。彼の作品はヨーロッパに多く流れ、フランスの印象派の人々に大きな影響を与えた。 |
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葛飾北斎は、奇行に富んだ人であり、住居を93回も移した。嘉永2年(1849)4月18日、江戸浅草聖天町の長屋で三女の阿栄(葛飾應為)に看取られて亡くなった。
北斎の墓は、幕末まで北斎の父と合葬されていたが、現在の墓は、後に他家の養子となっていた次男の崎十郎が建てたとも、その娘の白井多知が建てたとも言われている。墓石正面に「画狂老人卍墓」と大書し、右側面に辞世の句「ひと魂でゆく気散じゃ夏の原」が刻まれている。
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