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間新六光風(1680〜1703)は赤穂藩主浅野家臣間光延の次男として生まれる。元禄14年(1701)3月藩主浅野長矩が殿中刃傷事件を起こし、藩は改易となる。新六は父及び兄光興とともに仇討ちに加わり、元禄15年12月14日(1703年1月30日)に吉良上野介を討ち取り(赤穂事件)、麻布の長府藩毛利邸預かりとなり、切腹する。赤穂義士の墓は主君長矩の墓のある高輪泉岳寺にあるが、新六は義兄中堂又助により、築地本願寺に埋葬された。
泉岳寺にも新六の供養塔があるが、本願寺に葬られた理由は、檀徒であったのか、生前の意志によるものなのか、不明です。現在のものは、火災により焼失したものを天保5年(1834)に羽佐間宗玄が再建したものです。(東京都指定旧跡) |
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