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江戸中期の絵師、英派の始祖、本名は多賀信春、潮湖のち一蝶、北窓翁などと号した。承応元年(1652)大坂(京都ともいう)に生まれ、15歳(一説に8歳)のとき、伊勢亀山藩侍医となった父多賀白庵に従って江戸に移った。絵は狩野安信に師事し、また書、俳諧、音曲にも秀で、当時のいわゆる通人であった。
元禄11年(1698)「当世百人一首」や「朝妻舟」の図などが将軍綱吉を風刺したとして、三宅島に配流となったが、在島12年ののち大赦により江戸に戻った。赦免の報を聞いた時、蝶が花に戯れる様を見て、「一蝶」と号したという。
軽妙洒脱な筆致で江戸市民や都市風俗を描くことを得意としたが、享保2年(1717)には風俗画廃業を宣言している。同9年1月13日、73歳で没した。東京都指定旧跡
2段目右画像は、境内の狛件(こまくだん)。 |
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