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蒲生君平は、明和5年(1768)下野国(現栃木県)宇都宮の商家に生まれる。通称伊三郎、字を君臧また君平、修静また修静庵と号した。姓は福田といったが、先祖が豊臣秀吉の武将蒲生氏郷の流れであることを知り、蒲生と名乗ったという。高山彦九郎、林子平と共に寛政三奇人の一人と称せられている。
幼児から学問に励み、長じて水戸藩士藤田幽谷を知り、節義と憂国の感化を受けた。寛政(1789〜1800)の末期、諸国の天皇陵を歩き、享和元年(1801)『山陵志』を完成させた。これは、幕末の尊王論の先駆をなすものとして名高い。
後、江戸に出て著述に専念し、文化10年(1813)に没した。「蒲生君臧墓表」と題した墓石には四面に渡って藤田幽谷の撰文を刻む。昭和17年(1942)国史跡に指定された。
山門にある「勅旌忠節蒲生君平」の石柱は明治初年政府が建立したものである。 |
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