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初代三遊亭円朝は、通称出淵次郎吉といい、天保10年(1839)4月1日音曲師橘屋円太郎(出淵長蔵)の次男として江戸湯島切通町に生まれた。2代目三遊亭円生の門人となり、安政2年(1855)16歳で真打ちとなる。芝居噺で人気を博し『真景累ヶ淵』や『怪談牡丹燈籠』『塩原多助一代記』などを創作した。
本業の話芸以外にも點茶(てんちゃ)、華道、聞香、和歌、俳句、書画など和敬清寂の道に精通していた。建築、作庭にも秀で、自らの設計監督によって内藤新宿では、数寄屋造の家屋や茶室、更に新宿御苑を借景とした百坪余の枯山水の平庭を完成させた実績もある。
また、臨済禅の修行においても、山岡鉄舟や由利滴水の指導の下に参禅し、難しい公案を喝破して居士号を授けられた。更に書画古美術に対する鑑識眼は極めて高く、毎年円朝忌を中心に円朝の収集した幽霊画が公開されている。
明治33年(1900)8月11日62歳で死去した。墓石には、山岡鉄舟の筆により「三遊亭円朝無舌居士」とある。 |
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全生庵(ぜんしょうあん)は、臨済宗国泰寺派の寺院。江戸城無血開城の功労者である山岡鉄舟や「春よ来い」、「叱られて」などの作曲で知られる弘田龍太郎などの墓がある。 |
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