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幡随院長兵衛は、江戸初期の町奴。本名は塚本伊太郎。肥前唐津の士族で、幡随院の住職向導に私淑(一説には向導の実弟、または幡随院の門守の子ともいう)し、浅草花川戸に住み、奉公人を周旋する口入れ業に従事していたといわれる。
当時町奴と呼ばれる仁侠の徒が横行し、また、大小神祇組という旗本奴も市街を乱していた、やがて長兵衛は町奴の頭領となり、旗本奴の頭領水野十郎左衛門と張り合ったという。この辺は多くの伝説と潤色で後世の人々にもてはやされているため、つまびらかにはできない。
慶安3年(1650)4月13日、水野十郎左衛門のだまし討ちにあって没した。享年36歳。 |
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