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青木昆陽は、江戸中期の儒者。通称は文蔵。元禄11年(1698)に生まれ、京都の儒者伊藤東涯に学ぶ。幕臣大岡忠相の知遇を得て幕府に仕え書物方となり、のち評定所儒者・書物奉行となる。
彼は八大将軍徳川吉宗の命により蘭学を学び、長崎に遊学し、「和蘭文字略考」「和蘭訳語」などを著述する。また「蕃薯考」を著し、救荒作物として甘藷(さつまいも)の栽培を奨励したために、”甘藷先生”と呼ばれた。一方、幕命によりしばしば関東・東海地方に出向き古文書を調査・収集した。明和6年(1769)歿。行年72歳。墓は「瀧泉寺」の裏山にある。 |
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