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<月形半平太のモデル>
文政12年(1829)9月長岡郡仁井田郷吹井村(現・高知市仁井田)に生まれる。通称半平太。家格は郷士出身の白札格で、典型的な下級武士だったが家計は安定していた。幼少の頃より俊才の誉れ高く、土佐の尊王攘夷派のカリスマ的存在であった。剣術は江戸の鏡心明智流・桃井春蔵道場では塾頭まで努めた。
土佐勤王党の首領として藩主山内容堂の公武合体論と衝突、文久3年(1863)9月投獄された。志士たちの2年にわたる救命嘆願もむなしく、慶応元年(1865)5月11日自刃を命ぜられ切腹、享年37歳。 |
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