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<五輪塔> 俗称 曾我兄弟・虎御前の墓(重要文化財)
五輪塔とは、宇宙の五つの生成要素をかたどったもので、特に二基の五輪塔には、水輪が刻まれており極めてまれな例です。
塔には、永仁3年(1295)に地蔵講中により建立されたという銘文があり、石に「地蔵講」の銘が刻まれているのは、この五輪塔が日本最古のものといわれている。
曾我兄弟は鎌倉時代初期に父の仇討ちをしたといわれ、後、江戸時代にこの話が庶民に好まれ、俗称がついたものと思われる。 |
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五輪塔3基は、箱根二子山と精進池畔に展開する石仏・石塔群の最北端に位置する。3基とも安山岩製で、地輪、水輪、火輪、風空輪の4石からなり、各輪の四面には四方五大の真言を梵字で刻むが、東と中央の水輪では本来北に当たる面に仏像が浮き彫りされている。また、西の塔の地輪では本来西に当たる面にも北を示す梵字が彫られている。
西の塔の地輪南面にある銘文に、「右志者為地蔵講結縁衆等平等利益也/永仁三年十二月日」とあり、永仁3年(1295)の建立であることが知られる。他の2基についても、様式が近似していることや、石仏・石塔群の成立過程から、ほぼ同時期と考えられる。現在東と中央の塔は上面を平らにした礎石の上に近接して並び、西の塔はやや離れて独立した礎石上にある。発掘調査の結果等から、この配置になったのは江戸時代初期以降であることが判明したが、創建当初の配置は明らかでない。江戸時代以降にも何度かの積み直しが成され、近年では昭和5年(1930)の北伊豆地震で倒壊、再建された記録がある他、石塔部材間にあった硬貨から昭和16年(1941)以降にも積み直しされたことが知られた。
近年、五輪塔3基は表面風化が著しく、構造的にも不安定であったので、解体調査を行い、調査に基づいて江戸時代の状態に整備した。 |
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