|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
本名山本長五郎、文政3年元旦清水に生まれる。同町叔父山本次郎八の養子となる。同輩の中に「長」なる者あり、人彼を呼び次郎長と云う。長ずるに及び遊侠の群れに投ず、任侠の名天下に喧伝される。
明治維新と共に伏谷判事下知の下に駿遠三の三ヶ国治安維持に当たる。咸臨丸殉難者の為「壮士の墓」を建て清水港開港に侭力し、又英語教師を招いて青年に英語を教え、晩年は開墾事業に没頭し、三保・日本平・富士裾野大開墾など、幾多の社会公益の為に侭くす。
山岡鉄舟、榎本武揚など当時大臣顕官と交際あり。明治26年(1893)6月12日、74歳をもって天寿を全うする。
墓碑は榎本武揚の筆。
<大政>
前名・原田熊蔵。次郎長の養子となり、山本政五郎と称す。明治14年(1891)2月15日死亡。行年50歳。(下段左画像)
<小政>
幼名・吉川冬吉。後次郎長養子となり、山本音五郎と称す。明治7年(1874)5月29日浜松にて牢死。行年34歳。(下段右画像)
<石松>
三州の産。万延元年6月1日遠州小松横死。行年28歳。
<梅蔭禅寺>
臨済宗妙心寺派に属し、足利時代創建の古い寺。次郎長、大政、小政などの墓があり、侠客としては全国で唯一となる次郎長の銅像が建てられている。 |
|