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雪舟は応永27年(1420)に備中(岡山県)に生まれ、幼くして相国寺に入り、周分から画法を学び、応仁元年(1467)明に渡り中国の画法も学んだ。また益田氏の招聘によって、石見を2度も訪れ益田で死没したと言われる。
雪舟の没年は、永正3年(1506)であると言われており、終焉地については東光寺(現大喜庵)の他、山口雲谷庵、備中重源寺、同真福寺など諸説があるが、墓が存在するのは益田市のみである。雪舟の墓は東光寺の荒廃とともに寂れたが、江戸時代中頃の宝暦年間に乙吉村の庄屋金山太右衛門が施主となり願主である佐州(佐渡)の浄念とともに改築したものが現在の墓で、内部には旧墓の相輪が納められている。(説明板より引用) |
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