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松尾芭蕉は、故郷の伊賀上野ではなく、大津の義仲寺(ぎちゅうじ)に埋葬するようにと遺言を残した。それも、木曽義仲の横にと。義仲の生涯に共感していたのか、それとも琵琶湖周辺の美しい、穏やかな景観を愛したのか。芭蕉は生前、たびたび義仲寺を訪れていた。 |
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義仲寺(上左画像)とその境内(上右画像)。バショーが植えられている。 |
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境内の句碑 『旅に病んで 夢は枯野を かけ廻る』 心に残る。
<芭蕉翁の椿の杖>
芭蕉翁が使ったものと伝えられる。
箱書「なき人の跡にはおもかげの似たるをもしたしみなつかしと丈艸(じょうそう)禅師の書れし『雪の葉集』にのせたる故翁の持物多かる中、ことに蓑笠杖は行脚斗藪(あんぎゃとそう)の身をはなたで持給ふものなれば、なつかしさも一(ひと)しほなるに、笠は湖北平田の明照寺の庭に埋めて笠塚となし、蓑は播磨の増位山の麓に収めて今にあり。ひとり此椿の杖のみ百年近き迄も当寺にとどめて什物とするもさるべき因縁なるべし。」 |