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那須与一は、源平合戦における「屋島の戦い」で扇の的を見事に射た。源頼朝は、褒美として那須氏の総領(後継ぎ)の地位と領地として5カ国内の荘園を与えられたと伝えられている。したがって那須地方を中心にして、全国各地に与一関係のゆかりの地が多い。
神戸のこの地では、病のため死去したと伝えられており、土地の人々が「那須神社」を建てたというのがこの神社のようだ。なお、与一は、平氏に味方していた兄9人と十郎に那須各地を分地した。それ以降、那須一族は那須十氏として本家に仕え、それぞれの地位を築いていったという。 |
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