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坂本国際墓地は、明治21年(1888)大浦(川上町)の国際墓地の閉鎖にともないこの地に新設された。明治36年(1903)には道路の向かい側にまで墓地が拡げられた。その中にはトーマス・グラバーやその息子、倉場富三郎をはじめ日本の産業、経済、教育などの発展に多大な貢献をした多くの外国人の墓がある。
原爆被爆者で「長崎の鐘」その他の著作で名高い永井隆博士もここに眠っている。 |
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<ベトナム人区域>
明治33年(1900)に中国で起きた義和団事件で戦死したベトナム人4名と長崎で病死したフランス軍艦の機関員の計5名が眠っている。
<ユダヤ人区域>
長崎外国人居留地には多くのユダヤ人が生活していた。入口のアーチには”Bet Olam”(永遠の住まい)と刻まれている。
<フランス人兵士区域>
ここには明治33年(1900)に中国で起きた義和団事件により戦死したフランス人兵士が多く眠っている。 |
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