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イギリス人、トーマス・ブレイク・グラバーは、明治44年(1911)12月16日、東京麻布の自邸で死去した。遺体は荼毘に付されたのち、長崎での葬儀が同年12月に行われた。現在の墓碑が完成したのは翌年8月のことらしい。
ここにはグラバーの遺骨に加えて、明治32年(1899)に大平寺に葬られた妻ツルの分骨も合葬されている。その隣には「倉場家之墓」と刻された墓碑が建っており、昭和18年(1943)に死去した息子富三郎の妻ワカと第二次世界大戦終結直後の昭和20年(1945)8月26日に自死した富三郎が埋葬されている。
グラバー父子の生涯は、日本の近代化と密接な関係を有している。墓地の管理と保存は、長崎の地域史だけでなく、幕末維新史、日本近代産業史からも意義あることである。
<トーマス・グラバー>
スコットランド出身。1859年(安政6年)に上海経由で長崎に来航。南山手にある「旧グラバー住宅」は彼の居宅であった。
グラバー商会を設立して貿易商を営む。坂本龍馬などの維新の志士たちを援助する。日本初の蒸気機関車アイアン・デューク号を走らたり、船工場「ソロバンドック」を建設、「高島炭坑」を開発したりする。 |
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