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松前家墓所が形成されたのは、松前家7世公廣の没した寛永18年(1641)以降と考えられている。墓碑の総数は55基で、19代にわたる歴代藩主や正室・側室・子などの墓標が立ち並ぶ。
始祖武田信廣から4世季廣までは一つの墓碑に合祀され、西に5世義廣(初代藩主)、東に蠣崎季繁(武田信廣の義父)の墓碑があるが、この2基は後世に造立されたものである。また、石廟(せきびょう)が23基みられ、寺町の寺院墓地でも、松前藩重臣を中心に石廟が採用されている。石廟は、日本海沿岸地域の墓地や、高野山などで類例があり、越前(福井県)産笏谷石(緑色凝灰岩)が使用されているが、後になると御影石(花崗岩)が使用される。(「松前の文化財」松前町教育委員会より引用)国指定史跡 |
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