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幕末を駆け抜け、亡くなった長州藩士たちの墓所。
<禁門の変(蛤御門の戦い)>
元治元年甲子(きのえね)(1864)7月19日長州兵三方面から発して御所を目標に進んだが、たがいに連絡協力の余裕なくそれぞれ三ヶ所で勝手な戦いとなった。福原越後の伏見勢は北上して藤ノ森で大垣兵、竹田街道で彦根兵と新選組たたかれあっけなく敗走、国司信濃の天龍寺軍は一挙に御所の西側をついたが、会津・薩兵のため蛤門から撃退され、益田右衛門介の山崎軍は南から堺町門に迫りながら越前兵に壊滅させられた。
この日のいくさを後世「蛤御門の変」あるいは「禁門の戦い」と称す。実は三つの軍団の三つの戦闘なのである。その際に来島又兵衛政久、久坂義助通武、寺島忠三郎昌昭、入江九市弘毅、真木和泉守保臣等外数十名戦死あるいは屠腹する。これらの志士ことごとく霊山に眠る。 |
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