写真紀行・旅おりおり トップページへ 写真紀行・旅おりおり : 旅先で撮影した景色、建築、史跡、祭、風物等の写真と動画
 <墓地や終焉の地を巡る写真紀行

 印象深い景色
坂道 灯台
横丁・小路
街角 通り
温泉
 史 跡
街道 史跡
遺跡 人物
奥の細道 墓地・終焉地
Play Back 城・城跡
 建築・構造物
歴史的建造物 先端建築
神社
教会
漁港 垣根
防災施設
 自 然
山・峠
池・沼・湿原 海岸
 産業・交通
伝統・地場産業 バスターミナル
自動車・バイク
国内線 道風景
航空機
 四季の景色
棚田 桜紀行
春景色 夏景色
秋景色 冬景色
四季の彩り
 歌の舞台・祭・他
歌の舞台 祭・イベント
夜景 テ−マパ−ク
趣味悠々 食紀行
日曜画家  
 管理人
管理人備忘録 四国遍路
リンク集

坂本龍馬の墓 京都霊山護国神社   京都市東山区
坂本龍馬の墓
坂本龍馬の墓 坂本龍馬・中岡慎太郎の墓
坂本龍馬・中岡慎太郎の墓
 徳川慶喜大政奉還劇の大作者である坂本龍馬は、洛中においては河原町三条下る材木商酢屋嘉兵衛方に寓居していたが、遭難10日前に醤油商近江屋新助方に転居した。坂本龍馬は、当時、最も幕府側から狙われていた志士で、新選組・見廻組らの追求が急となり、藩邸の堀内慶助らの気遣いから近江屋を選んだのが仇となった。
 慶応3年(1867)11月15日、午後6時ごろ中岡慎太郎が訪ねてきた。この2、3時間後、会談中の彼らは刺客の襲撃に遭い、坂本龍馬は額を横に斬られ、二の太刀は右の肩から左背骨にかけ、三の太刀で更に前額部を裂かれて悲痛なる一言を残して倒れた。盟友・中岡慎太郎も全身刀傷を負い、2日後の17日の夕方に息をひきとった。
 18日、近江屋において葬儀が行われ、ここ霊山に埋葬された。(説明板より引用)
 坂本龍馬と中岡慎太郎の墓は、隣り合って並んで立っている。向かって左が坂本龍馬、右が中岡慎太郎である。 
坂本龍馬の生涯
年代 年齢 出来事
1835(天保6) 11月15日、高知城下・本丁筋1丁目(高知市上町)で坂本八平(直足)の次男として生まれる。
1846(弘化3) 12 6月、母・幸病没。漢学楠山塾入門、まもなく退塾。
1848(嘉永元) 14 日根野弁治道場で剣術修行。
1853(嘉永6) 19 江戸へ剣術修行、北辰一刀流・千葉道場入門。佐久間象山に学ぶ。
1854(安政元) 20 河田小龍に会いジョン万次郎の情報を聞く。
1855(安政2) 21 12月、父八平(直足)没。
1856(安政3) 22 再び江戸にて剣術修行。
1858(安政5) 24 北辰一刀流長刀兵法目録を受け土佐に帰国。
1859(安政6) 25 土佐藩西洋砲術を徳弘孝蔵に学ぶ。
1861(文久元) 27 武市半平太(瑞山)の土佐勤王党が結成され参加。
1862(文久2) 28 土佐勤王党と別れる。勝海舟を訪ね入門。
土佐を脱藩。越前藩主・松平春獄、大久保一翁の知遇を受ける。
1863(文久3) 29 勝海舟の尽力で脱藩赦免。勝塾(海軍塾)塾頭に。
土佐藩の帰国命令に背き再び脱藩。
1864(元治元) 30 幕府の神戸海軍操練所が完成し入所。
(池田屋騒動、禁門の変)
勝海舟と長崎へ。海舟江戸召還。小松帯刀・西郷隆盛の尽力で薩摩の保護を受ける。
1865(慶応元) 31 長崎で亀山社中設立、薩長和解に尽力。
1866(慶応2) 32 龍馬の仲立ちで薩長同盟成立。京・伏見の寺田屋で襲撃を受ける。西郷らの計らいでお龍と薩摩へ新婚旅行。
長州征伐の海戦に長州軍として参加。
1867(慶応3) 33 亀山社中は海援隊と名を変え、隊長となる。
・後藤象二郎と会い脱藩が許される。海援隊隊長を命じられる。中岡慎太郎は陸援隊隊長となる。下関に自然堂をつくる。いろは丸事件。
後藤象二郎と共に京に向かう船中で、大政奉還の「船中八策」をつくる。
薩土盟約設立。洋銃1300挺を購入して土佐藩に運ぶ。新政府綱領八策。

10月13日 大政奉還。大政奉還後、「新官制案」や「新政府綱領八策」をつくる。
11月15日 京都近江屋・井口新助方2階で、数人の刺客に襲撃され死亡。享年33歳。長岡慎太郎も遭難、17日死亡。享年30歳。

11月18日 東山霊山に遺骸を埋葬する。
12月2日、下関にいたお龍に龍馬の死が知らされる。お龍は翌年、高知に行き坂本家に身を寄せる。(お龍は明治39年(1906)没)
坂本龍馬・中岡慎太郎の像
 坂本龍馬と中岡慎太郎の功績を称えてたてられた像。
 坂本龍馬は天保6年(1835)、土佐高知城下に生まれた。江戸で剣術や砲術等を修業した後、武市半平太らが結成した土佐勤皇党に加盟し政治活動を始めた。
 慶応元年(1865)には長崎で「亀山社中」(後の海援隊)を結成し、「薩長連合」た「大政奉還」といった大きな足跡を幕末の歴史に残した。
 慶応3年(1867)11月、維新を目前にして京都河原町の近江屋二階で暗殺さた。
墓地・終焉の地
赤穂浪士 織田信長 織田信孝 梅田雲浜 沖田総司
榎本武揚 於大 伊能忠敬 伊豆長八 太田道灌
石出掃部亮吉胤 岡村昭彦 大隈重信 芥川龍之介 石川啄木
岡倉天心 岡本綺堂 大久保利通 緒方竹虎 石原裕次郎
尾ア士郎 上田秋成 青木昆陽 明智光秀 足利尊氏
伊藤仁斎 池 大雅 池禅尼 緒方洪庵 一色刑部
今川義元 小栗忠順 鬼あざみ清吉 泉鏡花 井伊氏歴代墓所
井伊直虎 井伊家武将 小川啓三・幸子 お牧の方 今川長得
石井漂香 歌川豊国 小栗判官 板割浅太郎 有無両縁塔
浮田幸吉
春日の局 桂小五郎 祇王 葛飾北斎 紀伊国屋文左衛門
清河八郎 木村重成 上山草人・山川浦路 黒田清隆 加藤友三郎
小村壽太郎 後藤新平 紀州徳川家 狩野芳崖 蒲生君平
吉良仁吉 吉三郎 グラバー家 木地師墓石群 古泉千樫
久野久子 小泉八雲 こうもり安 近藤勇 鎌田政家
金子みすゞ 窪田空穂 栗崎道有 木曽義仲 カール・ゴッチ
坂本龍馬 佐久間象山 寂光土 彰義隊 薩摩浄雲
曾我兄弟 司馬江漢 蜀山人 島田虎之助 三条実美
杉浦重剛 三遊亭円朝 佐藤春夫 斎藤茂吉 志賀直哉
鹿都部真顔 清水次郎長 清水一学 斎藤鶴磯 千姫
角倉了以 十七烈士 蘇我入鹿 雪舟 沢宣嘉
榊原鍵吉 西郷隆盛 佐賀藩鍋島家 サトウハチロー 島村抱月
酒井抱一 坂上田村麻呂 島崎藤村 島崎正樹 白井鐵造
鈴木梅太郎
豊臣秀吉 豊臣秀次 遠山金四郎 太宰春台 寺田屋殉難九烈士
田沼意次 千葉周作 平 将門 高村光太郎 田中芳男
高島鞆之助 忠犬ハチ公 田中久重 高峰譲吉 孝子
谷 文晁 高橋至時 武市瑞山 信玄塚 辰巳屋惣兵衛
築山御前 天誅組 長州藩士の墓 徳川信康 竹久夢二
桃中軒雲右衛門 巴御前 豊田佐吉
中岡慎太郎 二宮尊徳 乃木希典 那須与一宗高 中原悌二郎
新田義貞 中村憲吉 永井 隆 二・二六事件 永井荷風
夏目漱石 鼠小僧次郎吉 中濱(ジョン)万次郎 永井尚政 長沼国郷
長沼活然齋
幡随院長兵衛 林芙美子 樋口一葉(終焉地) 浜口雄幸 北条時政
本阿弥光悦 保科正重 比企能員 羽仁もと子 間 新六
福田半香 弘田龍太郎 平野国臣 藤沢敵御方供養塔 橋本左内
英一蝶
松尾芭蕉 向井去来 松平定信 松本幸四郎 身禄行者
明珍本家 源 頼朝 松本楓湖 源 範頼 源 頼家
万平塚 毛利家 森 鴎外 源 清麿 源 義朝
松平康俊 森の石松 村山知義 三浦梧楼 モラエス
武蔵石寿 間宮林蔵 飯盛女 松前藩主墓所new
山岡鉄舟 八百屋於七 山本勘助 山路愛山 山縣有朋
与謝蕪村 吉野太夫 与三郎 山内豊信(容堂) 吉見南山
雷電為右衛門
吉田松陰 終焉地 墓-(萩) 墓-(東京)
高杉晋作 終焉地 墓-(萩) 墓-(下関)
徳川慶喜 終焉地 墓-(東京)
吉良上野介 墓所-(東京) 墓所-(西尾)
外国人墓地 墓地-(横浜) 墓地-(函館) 墓地-(東京) 坂本国際墓地-(長崎)
その他 文字に託す 永遠に生きる 小塚原刑場跡 首切地蔵
新吉原総霊塔 ひまわり地蔵尊

Copyright(c) 2002-2024 写真紀行 uchiyama.info All Rights Reserved.