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落柿舎(京都市右京区嵯峨小倉山緋明神町20)の北側にひっそりと佇む。「去来墓」の表示が無ければ分からないほど小さく目立たない墓である。
向井去来は、本名兼時、通称平次郎。慶安4年(1651)生まれ。宝永元年(1704)9月10日没。54歳。父は九州長崎の儒医。34,5歳のころ芭蕉門下に。嵯峨に庵を結び落柿舎と名付ける。内妻可南との間に2女あり。 |
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<芭蕉十哲>
杉山杉風(さんぷう) 45歳 |
向井去来(きょらい) 41歳 |
服部嵐雪(らんせつ) 38歳 |
森川許六(きょりく) 36歳 |
越智越人(えつじん) 36歳 |
宝井其角(きかく) 31歳 |
内藤丈草(じょうそう) 30歳 |
志太野坡(やば) 31歳 |
各務支考(しこう) 27歳 |
立花北枝(ほくし) 不詳 |
(年令は、元禄4年(1691)に「猿簑」(さるみの)が刊行された当時を示す。この年、松尾芭蕉48歳)
嵯峨野を訪れる人は大変多い。近くの落柿舎の前にも大勢の人が通り過ぎていく。ここ去来の墓を訪れる人は少ない。 |
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