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歌舞伎「与話情浮名横櫛」(よわなさけうきなのよこぐし)で切られ与三郎の相棒としておなじみの「こうもり安」は、本名を山口瀧蔵といい、文化元年、木更津五平町の大きな油屋「紀の国屋」の次男として生まれた。
芝居中の人物像とは異なり、実際はなかなかの男ぶり、天性の美声に加え、金回りもよく、花柳界の寵児と言われるほど人物で、ゆすりをはたらくような人柄ではなかったようです。毎夜ふらふらと出歩くことからこうもり安と呼ばれ、芝居では右ほほにあるこうもりの入れ墨は、実は左の太ももにあったと言われている。
ここ選擇寺(せんちゃくじ)にある紀の国屋代々の墓碑銘には「進岳浄精居士 慶応四年四月五日」と刻まれている。 |
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