|
|
|
|
|
|
寛延年間(1748〜)に建立された木地師の墓石群である。平谷湖の脇にひっそりと立っていた。平谷村の有形文化財である。日本木地師学会HPより「木地師」についての説明を引用する。
日本の精密工業、ハイテク産業のルーツと木地師
木地師学会会長 楯 英雄
木地師は木地屋といわれ、江戸時代から明治時代初年まで「手挽ろくろ」という道具を使って、お椀などの木地を作った職人さんです。手挽ろくろは、一人が「ろくろ軸」に紐を巻きつけ紐を交互に手前に引っ張って回転させ、軸の先に取り付けた木の材料を削ってお椀などを挽き出す仕事です。木の材料を削るのは、細長い鉄の先を加工して作った刃物で、「ろくろ鉋(カンナ)」と呼ばれています。
日本の手仕事の歴史は、作る物を固定させ手に持った道具で削ったり、切ったり、張ったり、塗って作ります。作る材料を激しく回転させて作る仕事は木地師だけの仕事です。例えば、茶碗や壷などの陶器も「ろくろ台」の上に置き、手や足でろくろ台を回して作りますが、その場合手で形を整えて作ります。木地師の仕事は、
1.作る木の器の材料を手挽ろくろで早く回転させる。
2.回転している材料を、ろくろ鉋という道具を使って形を整えて器を作り出す。
このような作業工程は、日本の工芸史の中でも木地師だけの仕事です。木地師のこの仕事は日本における精密工業、ハイテク産業のルーツであります。明治時代日本が産業革命をいち早く導入、達成できたのは、日本にも精密工業のルーツがあったからです。 |
|