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<板割浅太郎の墓の由来>
国定忠治への忠義を貫ぬく板割浅太郎(本名 大谷浅太郎 )は、大正5年(1916)に刊行された平井晩村の小説『侠客忠治 』(後に『国定忠治』に改名)に登場する「板割の浅治」や、主題歌『赤城の子守唄』が話題となった昭和9年(1934)公開された映画『浅太郎赤城の唄』の登場人物として知られている。真徳寺には忠治の元を離れた板割浅太郎の後日談が口承されている。
天保13年(1872)に忠治がおこした勘助親子殺害事件と大戸関所破りの後、親分であった忠治と決別、無職渡世の足を洗い、時宗金台寺 (長野県佐久市
)住職である列外和尚の弟子となり列成と名を改める。後に遊行上人の導きにより藤沢 の地に移り、時宗総本山遊行寺の堂司(堂守)を勤める事となる。朝タの鐘つきに始まり、札売りや参拝者へのお茶の接待、境内の清掃と、精進を重ね念仏三昧の日々を送り、伯父であるとされる勘助親子の菩提を弔う。仏門に入り改心した姿が認められ、遊行寺塔頭である貞松院の住職を拝命したとされる。以上の口承が昭和61年(1986)
山本周五郎が刊行した『夜明けの辻』に収載された「遊行寺の浅」の元となったとされる。
後の列成和尚は、明治13年(1880)に発生した藤沢宿大火により遊行寺が類焼すると、老骨に鞭打ち勧進僧となり、遊行寺復興の為に各地を巡って浄財を募り遊行上人の仏恩に報いた。
明治26年(1893)12月30日、74才にてその生涯を閉じたと伝えられている。貞松院跡地に現存する墓石には「当院四十二世洞雲院弥阿列成和尚」と刻まれている。
赤門真徳寺住職 |
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