|
|
|
|
|
|
妙本寺一帯の谷を比企谷といい、源頼朝の重臣・比企能員(ひきよしかず)らの屋敷があった。比企一族は二代将軍・頼家の後継者争いの際、北条氏を中心とした軍勢にこの地で滅ぼされた。(比企の乱) |
|
|
|
|
|
<比企能員邸址>
能員ハ頼朝ノ乳母比企禅尼ノ養子ナルガ 禅尼ト共ニ此ノ地ニ住セリ 此ノ地比企ヶ谷ノ名アルモ之ニ基ク 能員ノ女頼家ノ寵ヲ受ケ若狭局ト称シ 子一幡ヲ生ム 建仁三年頼家疾ムヤ母政子関西ノ地頭職ヲ分チテ 頼家ノ弟千幡ニ授ケントス 能員之ヲ憤リ密ニ北条氏ヲ除カント謀ル 謀泄レテ卻ツテ北条氏ノ為一族此ノ地ニ於テ滅サル
大正十二年三月 鎌倉町青年団建 |
|