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吉田松陰は吉田家第7代大助の養子。実父杉百合之助の次男、松下村塾を主宰し、多くの俊才を育てた。安政6年(1859)江戸伝馬町の獄にて処刑される。享年30歳。松陰の誕生地の近くの団子岩と呼ばれる小高い場所にこの墓はある。
墓の高さは0.8p、幅0.45p、礎石からの高さ1.6mの花崗岩質の自然石で作られている。墓の表には「松陰二十一回猛士墓」、裏に「姓吉田氏、称寅次郎、安政六年己未十月二十七日於江戸歿、享年三十歳」と刻まれている。
万延元年(1860)2月7日は松陰没後百ケ日に当たるので、生家の杉家で百ケ日忌を営み遺髪を埋めて作られたものである。
家族、親戚はもちろん、高杉晋作、久坂玄瑞などの門人のほとんどが出席し、霊を弔った。墓前には、前原一誠、久坂玄瑞、高杉晋作、入江九一ら門人17名が寄進して、その名を整然と刻んだ石製水盤、花立、燈籠が供えられている。
また、この墓所には杉家、吉田家、玉木家、久坂家一族と高杉晋作など松陰とゆかりの深い人々の墓が立ち並んでいる。 |
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