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室町時代の武将だが、「七重八重花は咲けども山吹のみの一つだになきぞかなしき」の歌で知られている太田道灌。これは、太田道灌が鷹狩りに出かけて雨にあい、農家の若い娘に簑を借りようとした時、山吹を一枝差し出された故事にちなんでいる。
後日、「七飯八重 花は咲けども 山吹の みの(簑)ひとつだに 無きぞ悲しき」(後拾遺集)の古歌に掛けたものだと教えられた道灌が、無学を恥じ、それ以来和歌の勉強に励んだという伝承です。東京・早稲田の面影橋の近くに「伝説・山吹の里」の碑が建っている。
太田道灌は、主君、扇谷上杉定正に呼ばれ暗殺された。その時道灌が叫んだ言葉が「当方滅亡」といわれている。
源氏山公園から寿福寺へ向かう獣道の様な山道にひっそりと首塚があった。なぜこの地に太田道灌の首塚がなぜあるのか不詳だが、記録しておく。 |
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大田道灌は江戸城を築城したことで知られている。1457年のことだが、それから約150年後の1603年に徳川家康が江戸幕府を開いている。この像は、開都500年を記念して造られたもので東京国際フォーラムの中にある。 |
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