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天武の昔、淡海公藤原不比等は、唐の高宗妃から送られた面向不背の玉が、志度沖で竜神に奪われたため、身分をかくして都から志度の浦を訪れ、純情可憐の海女と恋仲になり、一子房前が生れた。淡海公から事情を明かされた海女は、瀬戸の海にもぐり竜神とたたかい玉を取り返したが、竜神のため傷つき真珠島で命を果てた。
後年大臣となった房前は僧行基を連れて志度を訪れ、千基の石塔を建てて母の冥福を祈ったという、殉愛悲恋のヒロイン海女の墓である。かたわらに五輪の塔と経塚がある。
毎年旧暦6月16日には、大法会が行われ、十六度市が立ち、1300余年の昔をしのぶ、供養がいまなお続けられている。 |
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盆に来て海女をとむらふ心あり (高浜年尾 句碑)
高浜年尾(1900〜1979)は虚子の長男、年尾は正岡子規が名付けた本名である。昭和10年頃より俳句の道に入り、26年には「ホトトギス」雑詠選を、34年虚子没後は主宰を継承、伝統派の中心作家として多くの俳人を育てた。
客観写生の句風を守り難解な措辞を排して乎明に詠う独自の境地を開いた。
この句は昭和27年9月5日(旧盆十六日)志度寺参拝のおり詠んだもの。このとき息女・汀子 (現ホトトギス主宰)京極杞陽 (故人)が同道された。年尾句碑は県内には善通寺と大窪寺にある。 |
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