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兼六園は江戸時代の代表的な林泉回遊式庭園である。金沢城に面し傾斜地に五代藩主綱紀な延宝4年(1676)、別荘「蓮池御亭(れんちおちん)」を建て、その庭を蓮池庭(れんちてい)と呼んだ。これが園の始まりといわれている。
その後11代藩主治脩が翠滝(みどりたき)、夕顔亭を造った。文政5年(1822)12代藩主齊廣のとき、千歳台に竹沢御殿が建てられた。曲水、七福神山などは、その頃の遺構である。
13代藩主齊泰は、竹沢御殿を取崩し、霞ヶ池を拡張し、栄螺山(さざえやま)を築くなど御殿跡と蓮池庭との調和を図り、現在の大庭園を完成させた。
<徽軫灯籠と虹橋>(ことじとうろう)
この灯籠は琴の糸を支える琴柱(ことじ)の形をしていることから、徽軫灯籠と呼ばれている。手前の橋は虹橋。別名を琴橋ともいう。この巧みな意匠が兼六園を象徴している。
<霞ヶ池>
天保8年(1837)に堀ひろげられた池で、広さは5800u。池の中の島は、蓬莱島といい、不老長寿を表しており、また亀の甲の形をしているので、別名、亀甲島ともいう。 |
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園名は、文政5年、白河楽翁公により「宏大(こうだい)、幽邃(ゆうすい)、人力、蒼古(そうこ)、水泉、眺望」の六勝を兼備することから、兼六園と命名された。 |
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